釣魚不全 / 私の名水百選 No.21

タイトルロゴ:可変サイズ

私の名水百選 No.21

岐阜県の湧水の環境
名水21

撮影: 2005年04月22日、カメラ:Olympus C-2

2005年の4月下旬に岐阜県で出会った水環境です。 湧水が多いと地方だと聞いて、きっと綺麗な水で魚もたくさん釣れるのだろうと思い、 ワクワクしながら訪れたところでした。 この池は私有地内の池のようでしたので竿を出すのは控えましたが、たいへん綺麗な水を湛えていました。 時期が4月だったこともあり、まだ水温が上がっていなかったのが理由かもしれませんが、 魚の姿はひとつも確認できませんでした。 しかし、心が癒される水辺の風景でした。 私は、ここでしばらく立ち止まって何も考えずにじっとこの水面を見ていました。


名水18
撮影: 2005年04月22日、カメラ:Olympus C-2

同じ水系で少し離れたところの小川です、こちらも湧水が水源のような感じでした。 小川の川底の何箇所かから水が少しづつ湧き出ているようで、 上流へ向かって少しの距離を歩いているうちにどんどん水量が減ってしまいました。 不思議なことに、こちらにも全く魚影は見られませんでした。 書こうかどうしようかちょっと迷ったことがあります。 ここでは写真に写していませんが、実は、かなりたくさんのゴミがありました。 こんなところに他の地域から観光客が寄ってゴミを捨てていったとはとうてい考えられないようなところです。 ゴミのほとんどはおそらく地元の方がポイと捨てられたのかもしれません。 あまり好ましいことではありませんが、私の住いの近所でも昔は全部そんな感じでした。 昔のゴミは量も少なかったでしょうし、その質もいずれ微生物に分解されて うまく土に還ったようなものが多かったと思います。量と質が幸いしてどうにかこうにか環境が保たれて いたのかもしれませんね。 しかし、今のゴミは難分解性のものが多いので何時までも残ってしまっているのです。 「昔はこんなことをしても大丈夫だった」という理論は時の流れとともに通用しなくなってきているのでしょう。 しかし、しかし、考え方によっては水に溶けないもので難分解性のゴミなら水質への影響は ほとんど無いということも言えます。 でも、やっぱり水と砂と石と緑だけの小川の方に癒しを感じます。 私は、こちらでは複雑な気持ちでいろいろなことを考えながら水面を眺めていました。
(2007年03月05日)