タナゴ釣り場の探索中に目にした水辺の写真集です。今後少しずつ増やしてゆきたいと思っています。(2005年1月26日)
.....と、三年半前に書き始めたのですが、水辺の写真なんかイッパイ並べてもちっとも面白くありません。三年少々の間タナゴ釣りをやってみて、 タナゴたちが直面している彼らの棲息環境の危機的な状況が解かってきました。私達がそんな状況をつくり出してしまったのです。 もちろん、人間だけでなく他の動物の増減も多少は影響しているとは思います。 しかし、私達人類が繁栄してきたその裏舞台では、タナゴなど自然界の絶妙なバランスをうまく利用していた生物がすみっこに追いやられてしまいました。 そんなタナゴを釣って楽しむのはどうなのだろう?いけないことなのだろうか?などと自分に問い続けてきました。 しかし、タナゴを釣る目的でタナゴを探しているうちに、環境が悪くなったといわれる現状でどんなところにタナゴが残っているかが徐々に解かってきます。 すなわち、その場所については多少は「自然環境が残っている」、あるいは「自然環境が戻っている」ということができるのではないでしょうか? 自然環境についての正しい認識を持つための一手段に、タナゴ釣りを選んでもよいのではないでしょうか? (2008年09月18日)
私たち人間が住み始める以前から、きっと、タナゴたちは自然の川や湖沼で自分達に適した環境の場所に棲んでいたに違いありません。岸辺や水辺というものは本来明確な線引きが出来ていたものではなく、水域と陸域の間を水が浸入したり出て行ったりする区域があって、そこに植物が生え水域と陸域が区分出来ないような場所がつくられるのであるらしいです。現在はまれにしか見ることのできない水辺林のような湿地林がある場所にその本来の姿を見ることができます。
小川と呼ばれる小河川もタナゴの棲みかのひとつだったのでしょう。ただ、人家周りや農地を流れていた小川については土地の区画を明確にしたり、 川岸の土手が崩れるのを防ぐといった目的で流れをつけ変えたり護岸をしたりされてきました。 なんらかのかたちの護岸というものをされていない小川は、現在はきわめて少ないと思います。 なだらかで水に関する災害が考えられないような山すそなら、そんな小川が残っているかもしれません。 川床の傾斜がほとんど無いようなそんな小川があれば竿を出してみたいです。
大河川や中規模の河川の場合はその氾濫域が本来の河川敷ですが、人間がその周辺に住むようになってから河川整備と土地の有効利用という名目で、湿地をどんどん埋め立てて田畑を増やし陸域と水域とを区分する水際をつくりそれをどんどん水域側へ寄せてしまいました。湖沼の周囲の湿地に関しても同様です、これらは私たち人間の生活を豊かにするための基盤つくりという意味では大変重要なことであったのですが、かたや人間以外の野生の生物達は生息場所を追われてしまったわけです。
しかし一方では、私たち人間は農耕地へ灌漑水を供給する目的などの利水目的で、元々川が無かったところに水路を張り巡らせて水棲の生物達の生息場所を新たにつくりました。その護岸は、昔は素掘りであったり木製の矢板護岸(杭柵?)や芝と杭を使ったもの(呼び方が解りません)であったり空石積護岸でした。これらはコンクリートなどが無かった時代のものだと思いますが、それらの護岸壁には植物が根付く隙間や魚が棲んだり隠れたりすることができる洞(ウロ)がたくさんありました、また大区画での工事が少なかったでしょうし出来上がった水路は適度にくねくね曲がっていたのではとも思います。こういう昔の工法でつくられた水路は現在ではあまり残っていませんが現在のタナゴたちにとっては絶好の棲みかです。
利水目的の水路ということでは、生活のため、さらに防火目的も兼ねて、集落内に通し、年間を通じて一定の流水量を保っている水路があります。こういった水路はたいへん旧い時代に作られていて、現在も改修されていないところがあります。空石積護岸で造成されている水路でしっかりしたものは大きな区画整理でも無い限りはコンクリート製などに改修されずにそのままであることが多いようです。集落内を流れるためどうしても水質が悪いであろうという傾向はありますが、水がきれいで、ある程度の水深と穏やかな流れ、適度な底砂の堆積があれば、今でもタナゴが棲んでいるかもしれません。
その後、これらの水路は大規模圃場整備事業と併行して改変され用水路と排水路に分けられてしまい、長い距離にわたり直線化したコンクリートのU字溝やコンクリート板とフレームを使ったプレハブ水路となっています。さらに最近では水路の側壁や底面を構成するコンクリートブロックの継ぎ目に段差のないものが用いられていたりして単純な流れになり砂泥が溜まりにくくなっています。こういうところにはほんの一部の魚種しか棲めません、タナゴが棲むためには水路の勾配がきわめて緩く、水流が弱く、ある程度水深が保たれる必要があるようです。しかし、このようなコンクリートの三面張りの水路でも曲がり角や合流点に大きめで深い枡が設置してあるところでは、流れが弱まり砂泥が溜まり二枚貝とともにタナゴが棲んでいる場合があります。
このような人工の水路や人間がつくった岸辺の構造物付近に棲息しているタナゴたちは、そこの環境が自分達に合うので棲みついたわけで元々そこには居なかったものだと思います、これらの場所でタナゴ釣りをすることが自然の中で遊ぶことだと言うのはおかしいかもしれませんが、タナゴの遺伝子は大自然そのものだと思います。
ごく最近になって、河川整備の工事には多自然型護岸を取り入れてより自然に近い水辺(だと人間が思っているかたち)を形成する努力がなされていますが、もともとの自然の河川の形態の多様性にはほど遠いものです。工夫はしてありますが流れはまだまだ単調で分断されています。私たち人間が見た目で自然な感じ(錯覚)を受ける自然石や天然素材は特に使わなくてもよいから元々の「流れ」を復元するような設計をしていただけると嬉しいと思うのは私とタナゴだけでしょうか?
タナゴとはあまり直接の関係は見出せないことがらなのですが、治水・治山と称して大自然の営みの浸食作用や堆積作用を阻止しようというような行為は、私も含めて、自然を制して豊かに暮らしたいという驕った私たち人間のエゴです。この驕りとエゴが日本の川を潰した一つの要因だと思います。じゃあどうすればいいの?と問われても私には解りませんが... ...。みなさん、野外に出てタナゴ釣りをしながら個々にお考えいただければと思います。